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斉藤由貴 「卒業」 

「卒業」(そつぎょう)は、1985年2月に発売された斉藤由貴のデビューシングルである。

卒業ソングの代表曲のひとつ。発売から30年経った現在も人気があり(下記『特集・ランキング』参照)、多くのJ-POPのアーティストにカバーされている。 担当ディレクターの長岡和弘は、作詞・作曲にヒットメーカーの松本隆と筒美京平を起用。また編曲にはキーボード奏者で、新進気鋭のアレンジャーだった武部聡(武部聡志)を起用する。先に松本が歌詞を書き、そこに筒美がメロディーを付けるという形で(詞先)制作される。 発売時は明星食品「青春という名のラーメン」のイメージソングであった。 斉藤の高校卒業式の後、教室でクラスメイトが同曲を合唱してくれたそうである。 ジャケットには全身ピンナップが付けられていた。

同時期には菊池桃子・尾崎豊・倉沢淳美も同名の「卒業」という曲をリリースした。斉藤の「卒業」と菊池の「卒業」が当時のあるテレビ歌謡番組で同日にランクインした。2人は別々の移動先から、2元中継(スタジオを含めると3元中継)の同時生放送で出演した。その際、司会者から「同名の曲ということでお互いに相手を意識していますか」と問われ、菊池が「意識していないです」と笑顔で答えたのに対し、斉藤は「意識しています」と真顔で答えた。

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:武部聡

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高田みづえ 「そんなヒロシに騙されて」 

「そんなヒロシに騙されて」(そんなヒロシにだまされて)は、1983年に発表されたサザンオールスターズの歌。作詞・作曲は桑田佳祐。原由子がボーカルを担当した。アルバム『綺麗』に収録された。
高田みづえ、ジューシィ・フルーツがカヴァーし、両者のシングルが同年8月21日に同時にリリースされた。

高田はこの曲で1980年の「私はピアノ」以来、7作ぶりにオリコンTOP10入りを果たし、最高位は6位まで上昇した。また、シングル売上も30万枚を超える記録となり、「私はピアノ」「硝子坂」に次ぐ3番目のヒット曲となる。TBS系「ザ・ベストテン」でも、「私はピアノ」以来3年ぶりにランクインされた。なお、高田のオリコンTOP10入り及び「ザ・ベストテン」のランクインは同曲が最後となった。

作詞・作曲:桑田佳祐、編曲:若草恵

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高田みづえ 「私はピアノ」 

「私はピアノ」(わたしはピアノ)は、サザンオールスターズの1980年のアルバム『タイニイ・バブルス』の4曲目に収録された歌である。作詞・作曲は桑田佳祐、ボーカルは原由子による。
高田みづえによってカバーされ、同年7月25日にシングルが発売された。

当初は弘田三枝子がシングル発売する予定で、アレンジ、歌の仮録音まで済まされていた。しかし高田サイドから「この曲をどうしても歌いたいので」と申し出が入り、弘田側が譲ったいきさつがあるという。 この曲で高田は「花しぐれ」以来、8作ぶりにオリコンTOP10入りを果たし、最高位は5位まで上昇した。また、シングル売上も50万枚近い記録となり、高田の最大のヒット曲となった。TBS系『ザ・ベストテン』でも、「花しぐれ」以来2年半ぶりにランクインとなった。ちなみに高田がその後、オリコンTOP10及び『ザ・ベストテン』にランクインされるのは、3年後の1983年、同じく桑田佳祐が作詞・作曲の「そんなヒロシに騙されて」によってであった。

作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:松井忠重

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堀江 淳 「メモリーグラス」 

「メモリーグラス」は堀江 淳のデビューシングルである。リリースは1981.4.2。

北海道苫小牧市生まれ。苫小牧南高等学校卒業後、札幌のライブハウスを中心にプロデビューを目指して活動する。 1979年、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)の第1回SDオーディションに合格し、1981年、「メモリーグラス」でデビュー。中性的な容姿・声も話題になり、デビューシングルは70万枚の大ヒットを記録する。オリコン最高3位。

作詞・作曲:堀江淳

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プリンセス・プリンセス 「世界でいちばん熱い夏」 

「世界でいちばん熱い夏」(せかいでいちばんあついなつ)は、プリンセス プリンセスの2枚目及び8枚目のシングル。オリジナル版は1987年7月16日発売、平成版が1989年7月1日発売。

元々は、杉真理が中心となって製作されたオムニバスアルバム『Summer Lounge』(杉の他、ハイ・ファイ・セット、南佳孝、須藤薫らの楽曲を収録。アルバム参加アーティスト全員(「Pops All Stars」名義)参加の楽曲「HOLIDAY COMPANY」では、間奏の旅行代理店従業員のセリフを奥居以外の4人が、富田 → 中山 → 今野 → 渡辺の順で喋っている)の為に作られた楽曲。レコードでの最初の発売時はバンド自体の知名度がまだ低く、オリコンシングルチャートにチャートインしなかったが、その後のブレイクで2年後にシングルCDとして再発売された。この時にカップリング曲がオリジナル版の「ヴァイブレーション」から同曲の平成アレンジ版に、ジャケットもメンバーの写真を使ったオリジナル版から、CDシングルのパッケージを生かした「航空チケット風デザイン」へ差し替えるなどの変更がある。初回プレス分は金色のパッケージで、それ以降の通常盤はピンクのジャケットとなっている。

作詞:富田京子 作曲:奥居香 編曲:プリンセス・プリンセス、笹路正徳

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森川由加里 「SHOW ME」 

「SHOW ME」(ショウ・ミー)は、森川由加里の通算2枚目のシングル。1987年10月26日発売。

The Cover Girlsが1987年に発表したデビューシングル『Show Me』のカバーである。TBS系のテレビドラマ『男女7人秋物語』の主題歌として起用されてヒットした。この曲で1987年日本有線大賞新人賞など数々の音楽賞を受賞しており、名実ともに森川由加里の代表曲である。

当時の好景気に沸く日本の世相を象徴する楽曲として、同じく『男女7人』シリーズ主題歌で前年大ヒットした「CHA-CHA-CHA」とともに、(楽曲の内容とは関係なく)バブリーなお立ち台ディスコや着飾った男女の映像と共にTVで紹介される事も多い。バブル時代の代表曲として位置づけられているものとみられる。

作詞・作曲:A.Tripoli、T.Moran、A.Cabrera、B.Khozouri
日本語詞:森浩美 編曲:船山基紀

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チェッカーズ 「涙のリクエスト」 

「涙のリクエスト」(なみだのリクエスト)は、1984年1月21日にリリースされたチェッカーズの2枚目のシングル。

チェッカーズ初の大ヒット曲。デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」より前にレコーディングされた。この曲の大ヒットにより、「ギザギザハートの子守歌」「哀しくてジェラシー」と共に3曲同時にベストテン入りを達成するなど、当時のチェッカーズは社会現象化する。しかしメンバーは、スケジュールに追われプライベートな時間の確保が出来なくなり、レコーディング時間の不足、アイドル的な扱い、アマチュア時代とのギャップといった苦悩が続くこととなった。

作詞:売野雅勇/作曲・編曲:芹澤廣明

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わらべ 「もしも明日が…。」 

「もしも明日が…。」(もしもあしたが)は、わらべの楽曲で、2枚目のシングル。1983年12月21日に発売。

オリコンの集計では約97万枚を売り上げ、わらべ最大のヒットシングルとなった。前年の「めだかの兄妹」のヒット後の、いわゆる「ニャンニャン事件」により、のぞみ役の高部知子がグループの脱退を受け、新たに『かなえ(倉沢淳美)・たまえ(高橋真美)』の2人グループとして再出発作として発売された。

作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし 編曲:佐藤準

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杏里 「CAT'S EYE」 

「CAT'S EYE」(キャッツ・アイ)は、杏里の13枚目のシングル。 1983年8月5日にフォーライフミュージックエンタテイメントから発売された。

表題曲「CAT'S EYE」は、テレビアニメ『キャッツ[ハート]アイ』の前期オープニングテーマとして使用された。 デビューから5年経過後にリリースされたこの曲は、有線放送や各ラジオ局で注目されると徐々にレコード売り上げを伸ばし、その後オリコン、ザ・ベストテン、ザ・トップテンで1位を獲得。1983年の年間シングルチャート6位にも入るなど大ヒットし、杏里の存在を広く世に知らしめ彼女の代表曲の1つになった。また、同年の第34回NHK紅白歌合戦でも披露され、翌1984年春には、第56回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選出されている。アニメの主題歌がセンバツの入場行進曲に選出されるのはこれが初めてであった。

作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大谷和夫

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渡辺真知子 「唇よ、熱く君を語れ」 

「唇よ、熱く君を語れ」(くちびるよ、あつくきみをかたれ)は渡辺真知子の7thシングル曲。1980年(昭和55年)1月21日CBSソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)より発売。

この曲はカネボウのCMソングであり、当時、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」(資生堂)、庄野真代の「Hey Lady 優しくなれるかい」(ポーラ化粧品)の2曲も同じく化粧品会社のCMでヒットしていたことから、この3人には、名前のイニシャルに由来して「3M」という称号が与えられていた。特に、竹内の「不思議なピーチパイ」は「唇よ、熱く君を語れ」と同時期にヒットしており、オリコンチャートにおいて、約2ヶ月にわたって激しい順位争いを繰り広げていた。

作詞:東海林良、作曲:渡辺真知子、編曲:船山基紀

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