長生酵素

前の10件 | -

中村晃子 「虹色の湖」 

「虹色の湖」(にじいろのみずうみ)は、1967年10月10日にリリースされた、中村晃子の7枚目のシングルである。

1967年当時音楽界を席巻していた「一人GS」風の編曲・演奏である。1965年のレコード・デビュー以来の中村晃子初のヒットで、中村は翌年の『第19回NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。 ロ短調である。

作詩:横井弘/作曲:小川寛興/編曲:森岡賢一郎

動画はこちら


平山三紀 「真夏の出来事」 

「真夏の出来事」(まなつのできごと)は、平山三紀通算2枚目のシングル。1971年5月25日発売。

表題曲は、アルバム『エキゾチカ大魔境』、『恋の気分で』でセルフカヴァーされている。また、1999年には「真夏の出来事'99」のタイトルで、映画『アドレナリンドライブ』のエンディングテーマとなった。

作詞:橋本淳 作曲・編曲:筒美京平

動画はこちら


中村雅俊 「ただお前がいい」 

歌手:中村雅俊
作詞:小椋佳
作曲:小椋佳

ただお前がいい
わずらわしさに なげた小石の
放物線の軌跡の上で
通り過ぎてきた
青春のかけらが飛び跳ねて見えた
そのてり返しを
そのほほに写していたおまえ
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れるときの
お前がいい

ただお前がいい
おとすものなど なんにもないのに
伝言板の左の端に
今日もまた一つ
忘れ物をしたと誰にともなく書く
そのくり返しを
その帰り道に笑うお前

また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れるときの
お前がいい

そのてり返しを
そのほほに写していたお前
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れるときの
お前がいい

動画はこちら


斉藤由貴 「卒業」 

「卒業」(そつぎょう)は、1985年2月に発売された斉藤由貴のデビューシングルである。

卒業ソングの代表曲のひとつ。発売から30年経った現在も人気があり(下記『特集・ランキング』参照)、多くのJ-POPのアーティストにカバーされている。 担当ディレクターの長岡和弘は、作詞・作曲にヒットメーカーの松本隆と筒美京平を起用。また編曲にはキーボード奏者で、新進気鋭のアレンジャーだった武部聡(武部聡志)を起用する。先に松本が歌詞を書き、そこに筒美がメロディーを付けるという形で(詞先)制作される。 発売時は明星食品「青春という名のラーメン」のイメージソングであった。 斉藤の高校卒業式の後、教室でクラスメイトが同曲を合唱してくれたそうである。 ジャケットには全身ピンナップが付けられていた。

同時期には菊池桃子・尾崎豊・倉沢淳美も同名の「卒業」という曲をリリースした。斉藤の「卒業」と菊池の「卒業」が当時のあるテレビ歌謡番組で同日にランクインした。2人は別々の移動先から、2元中継(スタジオを含めると3元中継)の同時生放送で出演した。その際、司会者から「同名の曲ということでお互いに相手を意識していますか」と問われ、菊池が「意識していないです」と笑顔で答えたのに対し、斉藤は「意識しています」と真顔で答えた。

作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:武部聡

動画はこちら


柏原芳恵 「春なのに」 

「春なのに」(はるなのに)は、柏原芳恵の14枚目のシングル。1983年(昭和58年)1月11日にフィリップス・レコードから発売された。

柏原芳恵のシングルでは初めて、中島みゆきを起用した。 柏原自身、「ハロー・グッバイ」に続く2番目のヒット曲となる。オリコンチャートでは最高位は6位まで上昇、33万枚を売り上げる記録し、同曲で第34回紅白歌合戦初出場を果たした。 現在も卒業ソングの定番としてよく知られる楽曲である。 カップリングの「渚便り」は中島の楽曲カバーで、オリジナルは中島のアルバム『私の声が聞こえますか』(1976年)に収録されている。

全作詞・作曲・中島みゆき、全編曲:服部克久・J.サレッス

動画はこちら


甲斐バンド 「安奈」 

「安奈」(あんな)は1979年10月5日に発売された甲斐バンド13枚目のシングル。

『裏切りの街角』『HERO(ヒーローになる時、それは今)』に続く、甲斐バンドで3枚目のベスト10入りを果たした楽曲である。 「安奈」の曲のアイディアは、たまたま立ち寄った函館のバーで1番の歌詞を思いつきコースターの裏に書き留め、2番の歌詞は渋谷のバーで思いついたという。 また、イントロのギターは、浜田省吾が弾いている。これも、たまたまレコーディングに来ていた浜田に直接頼んだという。

作詞・作曲:甲斐よしひろ

動画はこちら


高田みづえ 「そんなヒロシに騙されて」 

「そんなヒロシに騙されて」(そんなヒロシにだまされて)は、1983年に発表されたサザンオールスターズの歌。作詞・作曲は桑田佳祐。原由子がボーカルを担当した。アルバム『綺麗』に収録された。
高田みづえ、ジューシィ・フルーツがカヴァーし、両者のシングルが同年8月21日に同時にリリースされた。

高田はこの曲で1980年の「私はピアノ」以来、7作ぶりにオリコンTOP10入りを果たし、最高位は6位まで上昇した。また、シングル売上も30万枚を超える記録となり、「私はピアノ」「硝子坂」に次ぐ3番目のヒット曲となる。TBS系「ザ・ベストテン」でも、「私はピアノ」以来3年ぶりにランクインされた。なお、高田のオリコンTOP10入り及び「ザ・ベストテン」のランクインは同曲が最後となった。

作詞・作曲:桑田佳祐、編曲:若草恵

動画はこちら


高田みづえ 「私はピアノ」 

「私はピアノ」(わたしはピアノ)は、サザンオールスターズの1980年のアルバム『タイニイ・バブルス』の4曲目に収録された歌である。作詞・作曲は桑田佳祐、ボーカルは原由子による。
高田みづえによってカバーされ、同年7月25日にシングルが発売された。

当初は弘田三枝子がシングル発売する予定で、アレンジ、歌の仮録音まで済まされていた。しかし高田サイドから「この曲をどうしても歌いたいので」と申し出が入り、弘田側が譲ったいきさつがあるという。 この曲で高田は「花しぐれ」以来、8作ぶりにオリコンTOP10入りを果たし、最高位は5位まで上昇した。また、シングル売上も50万枚近い記録となり、高田の最大のヒット曲となった。TBS系『ザ・ベストテン』でも、「花しぐれ」以来2年半ぶりにランクインとなった。ちなみに高田がその後、オリコンTOP10及び『ザ・ベストテン』にランクインされるのは、3年後の1983年、同じく桑田佳祐が作詞・作曲の「そんなヒロシに騙されて」によってであった。

作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:松井忠重

動画はこちら


伊藤咲子 「ひまわり娘」 

「ひまわり娘」( - むすめ)は、伊藤咲子の歌手デビュー・シングル。1974年4月20日発売。

1973年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』での優勝を経て、翌1974年の春にリリースされた歌手デビュー盤。作詞は同番組で審査員も努めた阿久悠、作曲はイスラエル人のシュキ・レヴィによる。同年末の「第16回日本レコード大賞・新人賞」候補にも挙がったが、外国人による作曲の為に結局同新人賞にはノミネートされなかった。 リリース後も、伊藤咲子のモノマネをする際に歌われたり、伊藤自身が懐メロ番組で歌ったりと、代表曲のひとつとなっている。1995年には日本生命保険「ニッセイふれあい保険」のコマーシャルソングに(CMには陣内孝則が出演)、2000年代以降では、フジテレビ系朝のニュース番組『めざましテレビ』のコーナーでBGMとして使用されるなどした。 プレイステーション3用ソフト『ぼくのなつやすみ3 -北国篇- 小さなボクの大草原』では、ゲーム内の主題歌として収録されている(歌はMarhy)。また2012年より放送されているNKSJひまわり生命保険のコマーシャルでは、ベッキーによってカバーされている。

作詞:阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ、編曲:ケン・ギブソン

動画はこちら


原田真二 「シャドー・ボクサー」 

「シャドー・ボクサー」は、1977年12月20日にリリースされた、原田真二の3rd シングルである。

1977年10月から3ヶ月連続でシングルを発売するというトリプルデビューを果たした原田の第3弾シングル。 3作連続のオリコントップテン入りはならなかったが、約23万枚を売り上げた。トリプルシングルスの中では唯一、1枚目のアルバム『Feel Happy』に収録されなかった。 B面の「サン・ライズ」は、2002年発売のアーリーデイズ・ベストでアルバム初収録、初CD化。

作詞:松本隆/作曲:原田真二/編曲:後藤次利

動画はこちら


前の10件 | -





アフィリエイトについて/免責事項
Copyright [コピーライト] 2015 懐かしの昭和歌謡 All Rights Reserved.
ブログを作る(無料) powered by SSブログ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。