長生酵素

舟木一夫 「高校三年生」 

「高校三年生」(こうこうさんねんせい)は、1963年6月にリリースされた舟木一夫のデビューシングルであり、舟木の代表曲のひとつである。作詞は丘灯至夫、作曲は遠藤実による。デビューシングルでいきなりシングル発売1年で売上100万枚を越す大ヒット曲となり、舟木一夫はこの曲で一躍スター歌手となった。累計売上は230万枚。 元々は岡本敦郎が歌うことを想定して作られた歌であったが、岡本が既に「高校三年生」という世代ではなかったことや、岡本の歌唱に合わないという意見があり、当時はお蔵入りになった経緯がある。 この曲は最初はメジャーキーの三拍子だったが、遠藤実の気が変わり、曲を作り直した。作り直しにかかった時間はわずか15分だった。(2013年5月7日放送の「NHK歌謡コンサート」での舟木一夫の発言)また、貧しさのため高校に進学できなかった遠藤実の、学園生活に憧れた思いもこの曲に込められている。

作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実、編曲:福田正

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ザ・フォーク・クルセダーズ 「イムジン河」 

「イムジン河」(いむじんがわ、原題: 臨津江〈朝: 림진강、あるいは 임진강〉)は、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)のプロパガンダ楽曲。作曲は高宗漢 (고종한)、作詞は朴世永 (박세영)。1957年7月発表。

日本語詞のついた「イムジン河」のうち、最もよく知られているのが1968年にザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである。臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。

日本語詞:松山猛、作曲:高宗漢

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ザ・フォーク・クルセダーズ 「帰って来たヨッパライ」 

「帰って来たヨッパライ」(かえってきたよっぱらい)は、ザ・フォーク・クルセダーズのデビューシングルであり、同グループの代表曲である。 1967年12月25日に東芝音楽工業の洋楽レーベル・キャピトルレコードからシングル盤が発売され、ラジオ関西で放送されると、早回しのテープと奇想天外な歌詞で反響を呼んだ。「アングラ・フォーク」のブームを生み出した曲である。オリコンチャート史上初のミリオン・シングルで日本のコミックソングの代表的な作品。

飲酒運転で事故死した「オラ(自分)」が天国へ登るが、その天国でも酒と女に浮かれ、「神様」から「お仕置き」を受ける顛末を、テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。語り手の「オラ」は、巻頭いきなり「自分は死んでしまった」という内容のフレーズを繰り返し、田舎言葉でみずからの行状を語る。 途中で2度挿入される「神様」の説教は通常速度で録音され、早回しの伴奏にオーバーダビングしてある。「神様」の説教は北山修によるスローな関西弁で、バックに流れる天国と地獄とギャップがある。

作詞:松山猛・北山修、作曲:加藤和彦

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はしだのりひことシューベルツ 「風」 

はしだのりひことシューベルツは、ザ・フォーク・クルセダーズの端田宣彦(はしだのりひこ)が1968年の後半に結成したカレッジフォーク・グループ、ポップ・フォーク・グループ。「風」(作詞:北山修 作曲:端田宣彦)の大ヒットで知られる。 1969年1月、シングル「風/何もいわずに」を発表。これが大ヒットする。

作詞:北山修、作曲:端田宣彦

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ザ・ワイルド・ワンズ 「想い出の渚」 

『想い出の渚』(おもいでのなぎさ)は、1966年11月5日に発売されたザ・ワイルドワンズのデビュー曲である。 作詞は鳥塚繁樹(全員が書いたフレーズを繋いだが、一番多く書いたと言うことで鳥塚の名前がクレジットされた)、作曲は加瀬邦彦である。加瀬邦彦の12弦ギターで大ヒットし、50万枚を売り上げた。

作詞:鳥塚繁樹/作曲:加瀬邦彦/編曲:森岡賢一郎

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沢たまき 「ベッドで煙草を吸わないで」 

「ベッドで煙草を吸わないで」(ベッドでたばこをすわないで)は、1966年4月15日にリリースされた日本の歌手・沢たまきのシングル・レコードである。 1966年(昭和41年)、ジャズを唄いたいがためにテイチクからビクターへ移籍。移籍第1弾シングル『教えて頂だい』をリリースするが、当初B面曲であった本作が大ヒットし、AB面を差し替えジャケットも新たに再リリースされた。 JASRAC作品データベースによると、2014年現在31人に歌唱されている。 一世を風靡したものの、曲中にシャネルの名があるため(「甘いシャネルの…」)NHKで放送されず、よってNHKでは該当部分の歌詩を「甘い香りの…」と変えて披露されている。

作詩:田中知己、作曲・編曲:いずみたく

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ジェリー藤尾 「遠くへ行きたい」 

「遠くへ行きたい」(とおくへいきたい)は、永六輔作詞、中村八大作曲の日本の歌謡曲。 1962年(昭和37年)、NHK総合テレビの『夢であいましょう』の『今月の歌』として作られ、歌手のジェリー藤尾が歌い、東芝レコード(東芝音楽工業、現・EMIミュージック・ジャパン)からシングルレコードとして発売された。


作詞:永六輔、作曲:中村八大

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西郷輝彦 「君だけを」 

西郷輝彦のデビュー曲。1964年発表。君だけを (西郷輝彦)

作詞:水島哲、作曲:北原じゅん

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ハナ肇とクレイジー・キャッツ 「ハイそれまでヨ」 

「ハイそれまでヨ」はハナ肇とクレイジー・キャッツによる楽曲で1962年に発売された。 植木等主演映画『ニッポン無責任時代』主題曲。 シングル盤「無責任一代男」B面に収録。

作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶

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加藤登紀子 「琵琶湖周航の歌」 

琵琶湖周航の歌(びわこしゅうこうのうた)は、日本の学生歌の一つで、琵琶湖および周辺地域を題材とした、滋賀県のご当地ソングの一つ。1917年(大正6年)6月28日成立(作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋)、1933年(昭和8年)初版レコーディング(作詞・作曲:同左)。

琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われている。 第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口は、1917年(大正6年)の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。周航2日目の6月28日夜、今津(現滋賀県高島市今津)の宿で部員の中安治郎が「小口がこんな歌を作った」と紹介したのが初出である。吉田が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌・学生歌として広まっていった。 レコードの初版は1933年(昭和8年)にタイヘイレコードから発売された「第三高等学校自由寮生徒」の歌唱によるものである。1971年(昭和46年)には加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになった。

作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋

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